怒るということは物凄く力を使うことなんだとここ数年痛感している。
どうして10年前だとかそれよりも前、あんなにいつでも怒っていられたんだろうと我ながら不思議に思う。
何にでも怒りをぶつけられた(誰にでもということじゃなくて、例えば落ちている吸殻とかそういうものに対しても怒れた、人は怖いから無理、いや怒ってたけど気が小さいもので誰にでも怒れるわけじゃなかった、いややっぱり怒ってたかも)。
怒ることと同様に、なんでお酒をバカみたいに朝まで飲んでいたのだろうと
後悔はしていないが、どこにそんなエネルギーがあったのか、そのエネルギーをもっと違うことに使っても良かったのではないかと、自分で自分の過去がよく分からない。
お酒を飲んで、くだらない話をして、その次の日に残るものはほぼ皆無なのにね。
皆無なのが楽しいこともあるけれど、それは今になってそういう不毛な時間を愛しいと感じる様になったから。
不毛な時間(悪い意味でなく有意義な)でいつも思い出すのは
小野君(という友人がいる)と特に出口も生産性もない音楽の話をして飲んだくれて
夏の暑い夜明けや、冬の寒い真夜中に、もしくは暑くも寒くもない季節の間、彼は自転車を押しながら、俺は千鳥足で茶沢通りを下北沢から三軒茶屋まで歩いたことだ。
お金はないが時間とエネルギーは沢山あって、本当になんでもない、なんでもない話を沢山しながら歩いた。
音楽とバンドのことがほとんどを占めていて、それ以外の現実的な事は現実じゃないみたいな感じだった。
学生時代に俺はあまり友達が多くなかったので(今も)、俺にとってそれは遅れてやってきた青春の様なものだったのだろう。
なにもないけど音楽だけがあって、それだけで本当に良かった。
今も結局音楽があればいいなって思ってる。
そして今までずっと音楽をやり続けている訳だ。
なんでなのかは分からないけれど仕方ない。
音楽ほど心が動かされるものにいまだに出会っていない。
初めて聴いて感動した時のことを(曲ごとに)いまだに覚えているし、今も同じ様に感動したりする。
それぞれの一瞬が永遠に焼き付いてずっと離れないでいる。
生まれ変わって、大人になって、だけどずっと変わらないでいる。
おかしなことだけど、そんな感じだなって思っている。