私は私の反射を見ます、いいえ、それはトムではありません

ディランは良い、何が良いのか分からないくらい。
詩の向こうから何かが立ち上がってくる。
色々な捉え方が出来てその内に自分のことを歌っている曲の様に思えてくる。

I shall be released という曲がある。
ディラン自身よりもザ・バンドのバージョンのが先にお披露目されて代表的な曲となっている。
バンド以外にも沢山のアーティストがカバーしているし日本人も沢山翻訳して歌われたりしている。
素晴らしいものが多いのだけど、どうしてこの曲が色んなアーティストに歌い継がれているのか今までよく分からなかった。
サビに当たる部分の歌詞はこんな感じだ。

光が輝き出すのが見える / 西から東へと沈む / いつの日か いつの日か / 私は解放されるだろう

太陽は東から昇るし、西へ沈む。何から解放されるのだろう。
それ以外の部分もなかなか整合性が取りにくい。

人はなんであれ代わりがきくと言う / 全ての距離は近くないと言う / だから私は覚えている / 私をここへ置いた全ての人たちの顔を

みんな守られる必要があると言う / みんな落ちぶれてしまうのだから / だけど自分の反射を見た / 高い壁の上に

この孤独な人々の中で / 自分は無実だと言う人がいる / 一日中その人の叫ぶ声を聞いた / 怒り、とても大きな声で泣いていた

なんの歌なのだろう。と思っていた。ずっと。
翻訳し日本語で歌うためにどうしたらいいのだろうと考えていた。
英語はどうしても英語的で説明が多くなるし、日本語は説明をするのに適してない。間引くよりほかない。
だから俳句が古くに生まれて今日まで残っているのは日本語的だからなんだろうなあ。
俳句をそのまま英語にしても、なんの風情も生まれない。
英語をそのまま日本語にしても、ただの説明になってしまう様に。

何かを立ち上がらせようとしていたら、これは逆境に立ち向かう歌なんじゃないかという気がしてきた。
それは俺が今なかなか辛い気持ちだからという事が大きいんだろうけど。
冒頭に書いた通り、ディランの歌は自分のことを歌っていると解釈出来る様になっている。

常識を覆して太陽が西から昇り東へ沈む様な事があるかもしれない。
「俺は君のことを信じているよ」とディランは静かに歌いかけてくれる様に感じるのだ。
それがきっと俺がディランを好きな理由だと思う。
落ち込み、不安と背中合わせで、それでも前に向かおうとしている人にかけられる言葉はそれ位しかないのだから。

君の代わりはいくらでもいる
やめとけ どうせ上手くは行かないと
心を打ち砕こうとする奴らの顔を忘れちゃいけないよ

言い訳ばかりをしている 誰かを妬んでばかりいる
だけど俺は高い壁の向こうに輝く明日を見つけたんだ

ひとりぼっちで立ち尽くしている
誰にも気付かれなくたって
声を枯らして叫んでいる
俺には君の声が聴こえるよ

太陽は昇り沈んでいく 西から東へと
いつの日か いつの日にか 自由になるのさ

次のライヴは4/28です、奇妙礼太郎さんとの2マンです。弾き語りです。ひえ~。
信じてくれ!

ドアー、ドアー、ドアー、ドアー

世界は人の優しさで成り立っていると思うような事がままある。
こんな俺にも優しくしてくれてありがとうとふと思う。
それは肥溜めの中に咲く花のような感じで。
自分の価値をまるで信じられなくなるときにも手を差し伸べてくれる人はいるんだと、
それはなんでもない瞬間にも感じたりすることがある。
その人がなんの気なしに言ったことやしたことが俺にとっては救いだったりする。
花を見て綺麗だと思うのは、その人に花を見て綺麗だと感じる心があるからだ。
花は花であって、綺麗ではないのかもしれない。
綺麗だと感じる心に花は咲くんだと思う。
だから世界は、自分の感じるようにつくられているんじゃないかってそう思うよ。
今いる世界は俺が望んでつくったものだ。
そうじゃなくってもいいし、そうじゃないだろうけど、そうであってもいい。

物事は動くときもあれば動かない時もある。
動くときは自分がバタバタとしたら桶屋が儲かるくらいなのに
動かないときは真空みたいでじっと耐えるしかなかったりする。
だけど動かない凪みたいなときっていうのも大切な時期だよな。
大切っていうか仕方ないもんな。
扉を開けたと思ったら、その先に、しかも結構遠くにまた扉がある。
人生はいっつも自分の意思や意志を超えている。
その中でできることはジタバタとすること以外に何があるだろう。

音楽があって本当に良かったって思う。
音楽はいつも乱暴で優しくて俺のことを引っ張っていってくれる。
俺を奮い立たせ、がっかりさせ、励ましてくれる。
あなたにとっての音楽はどうですか。
自分のためか、誰かのためか、いまだに分からないけれど、俺はまた歌うわけだ。
分からないから歌ってるのかもしれない。

4/18、21とオープンな場所で歌います。
是非遊びにいらしてください。
皆さんがなんの気なしにふれるものがただの偶然の出会いじゃなければいいなって思ってます。

チェチェチェインジン

タイトルはデヴィッドボウイの歌だけれど、ボブディランの歌に「運命のひとひねり」という曲がある。
タイトルがいい。曲も歌詞ももちろんいいのだけれど、この邦題いいなって思っている。
今から書くこととは関係ないのだけれど。

去年の秋から先週末まで、ピンと張りつめた気持ちだったのだけれど、今週になってようやくだらだらみずそうが復活して。
今週は自分の気の赴くままだわ、なんて思っていて。
そういう風に思っていると逆に色んなことが動くというか、自分の周りが動いている事に気づくというか。
大体の人間を含む動物は勘が働くはずと思っている。
自分の心や周りの動きに目を凝らし耳をすましていれば自分がどう動くべきか分かるんじゃないかと思っている。
それが正しかったか、間違いだったかは後でなんとでも言える。
その時に動くべきか否かというのは皆んな少なからず本能でキャッチできるんじゃないか。

自分のこれまでの人生を自分の外に投げてみると思っているよりは何かが動く気がする。
一昨年は本当に空っぽな気持ちでいて、今の自分なんてこれっぽっちも想像できなかった。
自分の一年後が地続きで分かってしまって何をしていても楽しくなかったのを覚えている。
自らの人生が単調で代わり映えしないと思っているのなら、やるべきことは単純でそんなもの捨ててしまったらいい。
君が捨てたいものは君が大切にしなきゃならないもので、君が捨てられないものは君が捨ててもいいものだ。
そうすると運命は面白いように転がって何かにぶち当たる。

しばらく辻褄を合わせるのはやめにした。
合わないものは合わないし、合うものは今じゃなくても必ず合うチャンスが巡ってくる。
そのチャンス列車に乗り遅れないように駆け上る、そういう体力だけはつけておかなくちゃならない。

4/8は弾き語りをやります。
今月は弾き語りライヴだらけです。
弾き語りも一昨年にもうしばらくやらないって決めてたんだけど、まあ今ってそういうことなんでしょう。
いやあ、分からないって豊かだよなあ。

哲学を実践する様に

喋る様に歌い、歌う様に生きて、音楽になりたい。
だがしかし現実はありとあらゆる方向からマウントとってくるよな。
なのに情熱は枯れることがなく造花の様に埃をかぶり転がる石の様に角が取れ小さくなって行く。
10代の頃は作るのが辛いならやめてしまえとか生意気なことを思っていた。
ていうか一曲も書けなかった。それなのにいくらでも曲が書けると思っていた。
情熱はなくなってない、ただどんどん臆病になり億劫になって来ている。
もう二度と曲なんてつくれないんじゃないか。
つくったとしてもそれが良いものなのかどうか。
不安に対して言い訳を重ねていることにふと気づき滅入ってしまう。
二日酔いの朝の様にひどい気分で意味もなく心細くなって行く。
本当に些細な出来事を考えることで時間を潰している。
自家中毒だ。鶏皮が自分の脂でどんどん焦げて行くみたいだって思う。
自分で勝手に決めたルールに縛られて身動きが取れなくなっている。

と書いていると、ああ今俺はそういう風に感じているのかと、ふと他人の様に思えたりする。
書くことはいつも自分の心を覗き見る様なことだ。
自分にすら心を開くことが難しいと言うとおかしな感じかもしれないが自分を欺くことって結構ちょろいことだったりするよね。
複雑だし単純で頑固なくせに影響を受けやすいとか矛盾することが人の中には同居している。
だから奥底になにがあるのか知るためには息を深く吸ってぐっと潜り込まないといけない。

ただこうやって自分の言葉から立ち上がってくるものは昔から変わっていない気がする。
何か直接的なことを言いたいんじゃない。
誰もが気にも留めないこと、奥底にしまいこんだこと、普通に暮らしていたら蓋をして生きていけること。
ただそれらは歪みになり少しずつ蝕んで心が濁って行く。
俺はそういうものをおっかなびっくり摘んで、わあ気持ち悪い、でも気になる、みたいなことをしたいのだと思う。

癖(へき)の話になってしまった。
でも曲をつくって人に聴いてもらうなんて癖でしかないよな。
癖について苦悩している様に書いているのだと思ったら一行目から消してやりたい今。
これもまた癖だから消さないのだけど。

日々の音、今日の音

どうですか、皆さん、花粉症に苦しんでいるでしょうか。
私はとても苦しいので花粉症に関しては皆んなにも苦しんで欲しいです。
それ以外のことは幸せだと良いと思っています。
積極的には思っていないけれど不幸なのよりは幸せなのが良いと思っています。
他人に対して出来ることって祈ること以外にそんな無い。
よかれと思って言うことややることはお節介になることも少なくない。
呪うことには本当に価値がないと俺は思うので、祈る位しか出来ない。
皆んな、あなたに対して祈っていますよ。
みんなが一人かもしれないし、千人かもしれないし、一人もいないかもしれないけれどとにかく皆んなだ。
まだ会ったこともない人たちも祈っている。
そういう微妙な電波をキャッチして欲しいし、俺もキャッチしたい。

さて先ほど3/15は銀座SONYパークでのライヴでした。
たくさんの方がお越し下さって嬉しいです、どうもありがとう。
今日初めての編成で、やり慣れている様なライヴハウス環境とも違いとても勉強になった。
今日の音は、今日の音だよな、ライヴってのはそこが面白い。
演奏メンバーが普段と違っても、環境が違っても、変わる。
その中で変わらないものが浮き彫りになるのが面白い。
自分の中から何が出てくるだろう。まだ知らない自分やあなたに出会いたい。
そんな感じで色々な環境や状況で演奏していきたい。

夕方にラジオにも出演したのだけれど、到着0分でセッティングをして5分後に歌って、またその5分後には出演が終わってお礼を伝えてライヴ会場に向かった。
我ながらちょっとかっこいい気がした。こなれてる感。
ありがとうございます。

4月もライヴありますから、是非遊びに来てくださいね。
よろしくね。

爆竹やったか?

グレゴリオ暦、旧暦共に新年になりましたね、今年も書き始めとなります。
日々が本当にめまぐるしく過ぎて行き、それはありがたいとしみじみ思っています。
12月に晩安宝貝(わんあんばおべいと読みます。おやすみベイビーという意味なのでそう呼んでくださっても結構です)をリリースしてから一息つくこともなく色々やっています。
ごくパーソナルな事から音楽活動に関しても色々変化があり適応しようと夢中です。

来週2/24は晩安宝貝のリリースパーティがありますので是非お越しください。
リハーサルを本番へ向け眈眈と進めております。
今回の演奏陣は、
河原太朗(Ba./Key)
脇山広介(Dr.)
佐藤一人(Dr.)
オオナリヤスシ(Ba.)
天野光太郎(Gt.)
以上のメンバーでお届けします。
太朗と広介さんはレコーディングのリズム隊ですし、かずとさんもウォーアイニーやってくれてます。
是非お越しくださいね。

新しい毎日の中にいて思うことはたくさんあるのだけれど言葉になるまで頭が追いついていない。
きっと詩を書くというのはこういうことを自分の中からすくいあげることなんだろう。
言葉にならなかったことが詩になるのを待っているし、メロディになって歌われるのを待っている。
自分が奥底で感じていることをつかまえに行くのって結構骨の折れることだなって毎度思うんだけど
まあよく飽きもせず売れもせずここまで続けて来ているよね!
お付き合いいただきありがとう、これからもよろしくね。

これは本当の話なんだけど

クリスマスの夜。とある部屋に男が一人。電話が鳴る。

「はい、俺だけど?」
「もしもし、私…」
「はて、聞きなれない声だな。私はパスタも茹でていないし、今は早朝でもないし…」
「いいえ、最後まで聞いて、私…」
「ラジオからクラシックまたはジャズも流れていない、間違い電話ではないか?」
「メリーよ」
「ほう」
「もしもし、私メリーよ」
「いや、だめですやん、クリスマスにかけてきちゃだめですやん、それダジャレになっちゃってますやん」
「今あなたのCDを買おうとしているの、どこで買えるの?」
「12/18からタワーレコード渋谷店で先行発売が始まったところだけど」
「他のお店では買えないのかしら?オンラインとか」
「ええ、申し訳ないけれど今はまだタワーレコード渋谷店のみでの取り扱いなんだよね」
「分かったわ、でもタワーレコード渋谷店て大きくて…何階にあるのかしら…」
「それは3階で買うことができます。エスカレーターを上り右手に歩いていきます。すると左手に私のCDが並べられています。それは下りエスカレーターの丁度向かいです」
「あったわ…売れ行きはどうなのかしら…」
「おかげさまで好評でやんす〜!初回納品した分が完売してしまったんですが、再納品したんで安心してお買い求めいただけるでやんすよ〜!」
「そう…あなたのお友達もコメントを下さっていると聞いたけれど…」
「そうでがす、あっしのホームページを見ていただけると分かるんですが、マジでガチのリアルフレンズがコメントを寄せてくれたんです」
「三宅さんも昨年のTV Bros.に引き続き素敵な文章を書いてくださったのね…」
「泣きました」
「私も泣いたわ、そして私はメリーよ」
「購入特典のタオルでその涙を拭けばいいでがす」
「ああ、あの銭湯で300円位で売っているタオルのことね」
「今回はご購入いただいた方へのお礼だからフリー(無料)でげす。タワーレコード渋谷店でお買い上げのお客様のみの特典を予定しているんですよ〜」
「それ以外のお店での販売や配信の予定はないの…」
「そこは楽しみにしていて欲しい、震えて待て」
「震えるのはこの電話を受けているあなたのはずよ」
「おごと〜!」
「IKKOね、私はメリーよ」
「でも良くないと思う」
「よくない存在であることには違いないわ」
「あなたにしてもさっちゃんにしてもシャボン玉にしても、何故童謡を怖い方向へ持っていくのだ」
「それはあなたたちが望んだことよ、私たちは望まれたから存在しているの」
「トトロにしてもそうだ!メイちゃんとさつきに謝れ!」
「私はメリー、なのでどうにもできないわ」
「ばかたれ!」
「ところでライヴはないのかしら…」
「はあ!?12/29だよ!!下北沢のGARAGEというライヴハウスの年末イベントにバンド編成で出演するよ!!トリだよ!!楽しませるから来いよな!!」
「私は電話をかける概念なので…」
「ちょっと待って、キャッチ。はい、俺だけど?」
「もしもし、私リカちゃん」
「ティモテ!!!」

今日も私たちの知らないところで宇宙は広がり続けています。
私の音楽が皆さんの手に渡っていくことを非常に嬉しく感じております。
残り少ない2018年及び平成最後(声に出して言いたい日本語!)の数日が皆様にとってかけがえのない日々になります様に。
12/29は私たちがあなたをロックします。
お客様よろしく。

ウォーアイニー

ウォーアイニーをつくったのはHANDSOMEのVACANCEをつくった頃と同じ時期で
つまりそれは2012年?もしくは13年の夏ではなかろうか。もう5年以上経っている。
正確に思い出すことも放棄していて、その夏のことがいくつか頭をかすめている。
網戸を閉める音だとか、髪型(刈り上げられた)、あの赤いソファの居酒屋はどこだったろうとか。
コンプレッサーという種類のエフェクターがあり、大好きでいつもボードに組み込んでいるのだけど
ウォーアイニーはMXRというメーカーのdynacompというエフェクターの音から作った様な気がする。
それとエレハモのPOG2というオクターバー、その二つから生まれた曲。
それから台湾に旅行した時の街の匂いや暑さから生まれた。
そして当時、非英語圏の言葉から感じ取る情緒みたいなものから生まれた。
あと、、もういいよね、まあそんな具合で曲はいつでも複合的で、夢の様にいくつものことが矛盾しながら形を織りなしている。

この年は自分の中でポンポンと曲を作れた記憶がある。
といっても何を作ったのかさっぱり思い出せないのだけれど。
太陽の子とかもこの頃作った曲ではないだろうか、思い出せないけれど。
曲が出来る時は大体一瞬で、というとかっこいいのだけれど、大体の時間は頭の中で培養していて
なにかひとつ、最後に決定的なきっかけがあって曲になることが経験上多い。
ウォーアイニーの場合はdynacompという赤い、70年代か80年代のコンプレッサーによるものだ。
音色が変わる訳でなくて、潰れた独特な効果が出る。
多分筐体の赤い色の影響もあってそういう曲が出来たんだろう。

何度も何度もアレンジを変えて演奏している。
この曲だけはずっとゴールが分からなくて、いつも変わってしまう。
16年に録音したバージョンも今回のとは異なる。
ウォーアイニーだけで多分アレンジ違いのデモが5つ位存在する。
何かの折にお披露目できたらいいけれど。
今回収録されているものは水野創太GROUPでの演奏を基にアレンジをしている。
ただGROUP以外でのバンドでの再現が出来なくて、この先ライヴで披露できるのかどうか。
リハーサルでさらってみるのだけれど、あの一瞬を捉えることがどうにも難しい。別の一瞬を掴まえられればいいのだけど。
MVまでつくっておいてライヴで演奏できないとはどういうことなのだろうと思うが、仕方ない。
これがみずそうというものだよ。最近自分のことをみずそうとして取り扱うと楽な瞬間あります。
MVは小熊くんという新進気鋭の方に撮っていただきました。
当初は違う楽曲の予定だったのですが、紆余曲折ありウォーアイニーになりました。
小熊くんはなかなか大変な中撮影してくださって苦労かけました。
この場を借りて改めてお礼を申し上げます。みなさん是非ごらんください。

ちなみにウォーアイニーは元々タイトルではなく、初めてか数回目に披露した時に「ウォーアイニーよかった」と言われてそのままタイトルになってしまった。
タイトルを決めるのが本当に苦手で、名前なんてなければいいといつも思っている。
名前で良かったのはみずそうという距離感が微妙に縮まる楽ちんな自分の呼び名くらいで、だがしかしそれは自分で名付けたものではない。
だってウォーアイニーって、私はあなたを愛していますだしI love youだぜ、そりゃないぜ。
でもそういう距離感なんじゃないかって勝手に思ってる。みずそうもウォーアイニーも一緒だ。
愛していると言えない様に創太と呼び捨てられることは少ないし、I love youの様に水野君はよそよそしい。
おやすみベイビーとは誰も言わないが、晩安宝貝とも誰も言わないか。

でもそういうことじゃんか、遠回りするんだ、俺の言葉は。
言わなきゃいけない時や伝えたい時に言えなかった気持ちが歌詞や音楽になっていくのだと思う。
そしてそれがいつかどこかで思ってもない様な形で、どこかの誰かに還元されていくんじゃないだろうか。
遠い異国の音楽が巡り巡って自分の心に響くのは、誰かのそういう気持ちが今自分に届いたってことかもしれないよね。

それでは、おやすみベイビー。

晩安宝貝によせて

晩安宝貝の制作は2015年末に友人であり今回のプロジェクトに大きく関与しているあんちゃんの「そろそろ名刺代わりになるものを作った方がいい」という一言から緩やかに始まったと記憶しています。
16年の頭までに収録曲を決めリハーサルを重ねて、初夏頃にリズムトラックの録音を行いました。
その間並行してEdBUSの「太陽の子/バンドワゴン」をレコーディング&リリースし(夜間飛行のギターをこの時天野くんが先行して録音)、その後ギターの録音へと至ります。
ギターの録音以降はとてつもなく孤独な作業です。一部の例外を除き基本的に全てのギターを一人で演奏しています。音色を変えギターを変え、音を重ねて、という事を一人でやっていきます。
レコーディングエンジニアは勿論いるけれど、エンジニアの仕事はセッティングやコンソールの操作であり、私の仕事は演奏とどのテイクを採用するかの判断です。

レコーディングはジャッジの連続なのでとても疲れる、みんな嫌にならないんだろうかって不思議に思う。例えば同じ演奏をしたテイクが二つあって、一回目と二回目の差が自分ではどっちでもいい時とか。でもそこで決めなくてはいけないし、決めたらそれが世に出ていくわけだ。
ライブは演奏してしまえば終わりだけど、録音したものは残り続ける。
自分の過去作品を自ら聴き返すことをそんなにしないので、結局ライヴと同じなんだけど。

さてギターの録音が終わり、あとは歌を録音すれば曲を構成する音は全て完了です。
とここまで、ギターの録音が終わったのが2016年の夏になります。
普通ならば2016年中ないし2017年頭に出るスケジュールです。
しかしリリースを控え、今こうやって文章を書いている、その今は2018年の年末です。
制作は1年の間全く動かなくなりました。

常に頭にはあったが自信をなくしてしまった。
ギター録音後、歌録りまでにスタジオに入りリハーサルをしていたのだけれど、自分の歌えなさにがっかりしてしまった。
いくら歌っても納得出来る様に歌えない。完全に怖気付いてしまった。
せっかく演奏に関してはいいものが録れたのに歌がこれじゃあな。
常日頃からダメ出しをされる夢をよく見る。
自分が自分に感じている引け目を、夢の中で誰かから指摘される。
そんな気持ちで2017年を迎えたもので、去年の事をほとんど覚えていない。
自分の中では2016年と2017年は同じ年の様に感じる。体感としては振り返ると二つの異なる年が並行して一緒に流れてる。
2017年はのろのろと夏を迎え水野創太GROUPでのライヴが久しぶりに決まりました。
そのリハーサルとライヴがとても良く、今回の収録曲「ウォーアイニー」も演奏したのですが手応えがあり新たに録り直すことにしました(16年に一度録り終わっていました)。

太朗はアレンジャーやディレクションに関しても才気あふれる人で、歌に関しても彼と二人で採用するテイクを決めていくことでウォーアイニー以外の歌録りも遂に完了したのです。
コーラスで参加してくれている浩樹の声は宝物で冒頭の歌は彼です。この曲に関しては本当にみんなが集中力高く且つリラックスしている瞬間を捉えることが出来たのではないでしょうか。
ここまでが2017年の夏です。この下数行はデジャブですしコピペです。
普通ならば2017年中ないし2018年頭に出るスケジュールです。
しかしリリースを控え、今こうやって文章を書いている、その今は2018年の年末です。
再び制作は1年の間全く動かなくなりました。

トラックダウン(ミックス)とマスタリングというのが音に関して残っている作業になります。
このミックスというもので曲の印象というのががらりと変わってきます。
歌の大きさや楽器のバランスやエフェクト、そうした事を整えるのがミックスになります。字の通り編集作業です。

このミックスを誰にお願いしたら良いだろうと悩むことでまた時間が止まってしまった。
普通のロックにおさまらない、面白くて、でも格好良いことは大前提で、、
リリースしてくれるレーベルも探してみたり、人に相談をしてみたりしたのだけれど(かなり消極的なやり方で)、なかなか結果に結びつかず(そりゃあそうだと今思う、探してたとか言えないレベルだ、でもその時はまだ自信を持ててないから仕方ない)、やっぱりダメなのかなあと、今年の春先まではそんな気分だった。
今書いていて思うのはミックスで悩むというより後者の部分で自信を失っていたんだろうな。
自分でもなんでこんなに自信ないかね、っていう位弱気なんだ。
だから歌も録音すると自分のダメさが目の前にさらけ出されるし、レーベルに興味を持ってもらえなければ俺の作るものに価値がないと言われてるのと同然で、自らをさらすということにとてもびびってしまう。

今年に入ってライヴのサポートをしてくれるナリさんとヤスオが固定されコンスタントにライヴも出来たことで、
ライヴ活動に関しては余計なことに気をとられることが少なかったというのが、救われたことのひとつになります。
作品に関してはこのタイミングで改めてあんちゃんに相談をしたのが、最終的にリリースに至った一番大きな要因です。
というのもあんちゃんは2015年末に「作った方がいい」というアドバイスを個人的にくれただけなのです。
再びあんちゃんを巻き込んだことからエンジニアの鯛焼きくんと出会い一気に進んでいくのです。
鯛焼きくんはとても興味深い人で、表舞台に上がる方じゃないからライヴに引っ張り出すことは出来ないけれど、楽器やってたらバンドやりませんか?ってお願いしているはずです。
そうして音が仕上がり、今あんちゃんを始めとする仲間達と準備を進めています。12/18にタワーレコード渋谷店にて先行発売開始で以降いろんなところへ拡げていきます。

豊かな不毛

怒るということは物凄く力を使うことなんだとここ数年痛感している。
どうして10年前だとかそれよりも前、あんなにいつでも怒っていられたんだろうと我ながら不思議に思う。
何にでも怒りをぶつけられた(誰にでもということじゃなくて、例えば落ちている吸殻とかそういうものに対しても怒れた、人は怖いから無理、いや怒ってたけど気が小さいもので誰にでも怒れるわけじゃなかった、いややっぱり怒ってたかも)。

怒ることと同様に、なんでお酒をバカみたいに朝まで飲んでいたのだろうと
後悔はしていないが、どこにそんなエネルギーがあったのか、そのエネルギーをもっと違うことに使っても良かったのではないかと、自分で自分の過去がよく分からない。
お酒を飲んで、くだらない話をして、その次の日に残るものはほぼ皆無なのにね。
皆無なのが楽しいこともあるけれど、それは今になってそういう不毛な時間を愛しいと感じる様になったから。

不毛な時間(悪い意味でなく有意義な)でいつも思い出すのは
小野君(という友人がいる)と特に出口も生産性もない音楽の話をして飲んだくれて
夏の暑い夜明けや、冬の寒い真夜中に、もしくは暑くも寒くもない季節の間、彼は自転車を押しながら、俺は千鳥足で茶沢通りを下北沢から三軒茶屋まで歩いたことだ。
お金はないが時間とエネルギーは沢山あって、本当になんでもない、なんでもない話を沢山しながら歩いた。
音楽とバンドのことがほとんどを占めていて、それ以外の現実的な事は現実じゃないみたいな感じだった。
学生時代に俺はあまり友達が多くなかったので(今も)、俺にとってそれは遅れてやってきた青春の様なものだったのだろう。
なにもないけど音楽だけがあって、それだけで本当に良かった。
今も結局音楽があればいいなって思ってる。
そして今までずっと音楽をやり続けている訳だ。
なんでなのかは分からないけれど仕方ない。
音楽ほど心が動かされるものにいまだに出会っていない。

初めて聴いて感動した時のことを(曲ごとに)いまだに覚えているし、今も同じ様に感動したりする。
それぞれの一瞬が永遠に焼き付いてずっと離れないでいる。

生まれ変わって、大人になって、だけどずっと変わらないでいる。
おかしなことだけど、そんな感じだなって思っている。

きええええええ

情熱の火が消えない様にせっせと心に薪をくべるのは自分でしかない。
今までって恥ずかしさや自己評価の低さが前に出てきてしまって自分自身だったり、つくった楽曲を堂々と誇ることに気後れしてしまう部分があったのだけど今回の作品に関してはエンジェル伝説の竹久君よろしく、先にそっちが出したんだからなってナイフを取り出して、俺もこっから引くに引けねーかんな、みたいな若干オラついた感じで自分のことを鼓舞しています。

自分だけが自分を鼓舞している訳ではなくて、他人もまた風を送ってくれている。
自分のことと誰かのことを信じてみようと、そう思えるまでにここまでかかったしこれから先も葛藤することは沢山あるだろうけれどこれまでの後悔やこれからの期待をひっくるめて踏み出してみようとしている。

上手くいっているかどうか分からない時はいい時で、迷っているならば跳んでみるべきなのだ。

言葉は矛盾すると途端に自由になって追い風を吹かして、思ってもなかったところまで飛び上がっていく。
君の周りのお兄さんやお姉さん、おじさんやおばさん、じじいやばばあなんかもきっと同じ様にいい歳しても若い頃と変わらずに悩んだり迷ったりしているのだと思う。
だからって全ての人に優しくする必要はないんだけれど(だってくそったれはくそったれだもんな)、君が君の心に薪をくべるのならば、俺はその火がごうごうと燃えて勇気が出る様に風を送るよ。

俺はそうありたいと思っていて、君に対してそう思ってくれている人がきっといるんだと思う。
人生は悪いか、もっと悪いかが大体だけれど、優しい人たちも少なからずいて世界をまともに見せてくれる。

助走でバテる前に、石橋を叩いて割るよりも、やらなきゃいけないことは沢山ある。あるぞ!

おやすみベイビーっつって

12/18に「晩安宝貝」(わんあんばおべいと読みます)というタイトルのCDをリリースします。

わんあんばおべいとは中国語で「おやすみベイビー」という意味です。
私は朝方の人間なのに夜の歌ばかりを歌っています。
以前何かのレビューで水野は夜の曲が多いがそれは夜に書いているからだろうという、まじでそんなレビューあるかよ、と思ったことをぼんやり思い出しました。
んまあ、なんとなく決めたタイトルなのだけど、私は普通のことをちょっと斜に構えて言っている様な人間だって、後になってから気付かされた様な感じです(今更!)。

沢山の人の協力と後押しがあってリリース出来ることとなりました。
感謝はしてもしきれないですがむしろここからが大切ですね。
ここから発売まで途切れずに、この作品にまつわることを発信していきたいと思っています。
リリースにあたって様々なことを考えたりしていて。それはつまり心が絶えず動いており、どんどんと考え方が変わっていく状況なのだけど、そういうドアが外へ開かれている時というのは色々なことが自分に響くんだと感じています。
調べものをしていると今まで知らなかっただけで独自の活動をされている素晴らしいアーティストが沢山いることにも気付かされます。
そういったアーティスト達の格好よさや潔さというものに感銘を受けて、私はその系譜に連なることが出来るのだろうかと、自分の砂の山の小ささに愕然とし落ち込みながらも、まだ幾らでも作り直せるのだとわくわくしたりしています。

最近ビートルズのホワイトアルバムの50周年記念のリミックス?が出たので聴いたらとても良くって、旧い友達の天野氏にもう聴いたかなんてやりとりをしていて。
彼と出会った頃(22年前)からそんな事ばかりを話していて、未だにそういうことは変わっていないんだとふと気づいて、いい歳なのにそれはそれで幸せな事だなとつくづく思いました。

彼も晩安宝貝のレコーディングとリリースに関わってくれています。
変わるものも変わらないものも等しく、変わることは元に戻ることだったり、変わらないことは少しずつ変わることだったりする。
そしていっつも一人称に迷っている。今回は「私」でやってみたけれど、まだ早い気がしてる。
僕っていうには歳をとりすぎていて、俺っていうには女々しすぎるんだよな。
結局自分って一体なんだろうってまた自分の中に迷い込むんだよな。

明日11/23はPARTYという名のイベントに出演します。
私はバンド編成で出演します。私たちがあなたをロックします。お客様よろしく。